東京日本橋の古いお友だちと
久しぶりに仕事が入って東京に向かいました。 馬喰町で仕事を済ませてから、日本橋へ。 もう、40年も前にスーパージャスコの月刊誌を編集していた頃に、 通っていて、「泊まる?」なんて言われるようになり、 その後の仕事でも、定宿にさせて貰った友人宅。 40年も続く、お気に入りなブティックでした。 70歳でほぼリタイヤしたし、流行り風邪がありましたから、 会えたのは本当久しぶり。 夕方からワインをいただきながら、 子どもの頃の話が始まりましたが、今回初めて聞いたのは、 「じつは父親が、3人目の子どもである自分ができたときにね。 産もうかどうしようか、やっぱり、いらないって悩んだそうなのよ」 60歳になった頃、認知症を病んで世話をすることになった姉が、 ボソリと言ってくれて、知ったのでした。 「あの時、母親が女の子がもう一人欲しいから。 と言い張ってくれて、ほんまによかった。 妹がおって、看てもらえて、ありがたかったわ」 「ええっ? そんなこと?」と思いながら、 姉の入院中のベッドの脇で、2人でイチゴを食べたそうです。 自分の生まれなかったかもしれない…話なんて、 子どもの頃に聞いていたら、トラウマになったかもですが、 70歳になって初めて聞いたので、なんとかセーフ。 胸の内にしまっておいてくれたお姉さんに感謝ですね。 今、自分は自分を産むことに反対したらしい父親の 残してくれた日本橋のビルで、暮らしているのですから、 大好きだったお父さんにも、しっかりありがとうですと笑っていました。 ホッとです〜。 |